桃 林 閑 話 06 |
景観と歴史 京都の代表的な観光地としても知られる東山七条の三十三間堂(国宝)は、鎌倉時代の建造物で、全長百二十bにも及ぶ長大な堂内に千一体の観音像が整然と並べられている。この三十三間堂の東側の道を南へ行ったところに南大門があるが、これも豪壮な建築ではあるが、豊臣秀吉が造らせたものである。南大門の西につづく太閤塀とともに重要文化財になっている。本堂と南大門・太閤塀との造立年代には、三百五十年程の間があるが、見ている人にはなかなかその建築年代の差は気がつかないかもしれない。 けれども七条通りを挟んで三十三間堂の向かい側(北側)にある京都国立博物館の本館(明治館)は明治二十八年に、片山東熊の設計で造られた煉瓦造り近代建築(重要文化財)で、さすがにこちらのほうは先の三十三間堂の諸建築とは見た目にも大きな違いがある。さらに博物館の北につづく豊国神社と方広寺には旧方広寺大仏殿の巨大な石垣が残っていて、これは豊臣秀吉が運んできて造らせたものである。 その正面、西側には秀吉の朝鮮出兵の遺跡である耳塚も残っている。そして京都国立博物館と三十三間堂の間の七条大路の東端には真言宗智山派の智積院があって、この地に寺を移したのは徳川家康である。桃山絵画の代表作である長谷川等伯・久蔵親子の描いた障壁画や江戸時代前期の名園がある。こんなわけで東山七条周辺には指定文化財になっている歴史的な建造物・史跡だけとってもさまざまな時代に亘っていることがわかる。付近の民家や日赤の施設、ホテルの建物を含めれば、私たちはいろんな時代の建造物や遺構を一度にひとつの視野の中に入れて見ていることになる。 これは近年よくいわれる「歴史的景観」というような概念を考え直す重要な問題をはらんでいるように思う。たとえば国は「重要伝統的建造物群保存地区」という歴史的な建物群全体の景観を保全しようとするのであるが、これはある程度時代と様式が揃った建物群であって、この東山七条界隈のように時代の複層的な景観には当てはまりそうにない。「重要伝統的建造物群保存地区」というのは、たとえば祇園町や金沢の茶屋町のようにひとつの生業で完結しているような生活環境、あるいはかつて栄えていた宿場や港町などがたまたま現在にまでとり残され、過去の生活空間として見直され指定された、といったものが多い。京都の街のように、古い遺跡のあとに次から次へと新しい建物が建てられ、そのいくつかは文化財として保存されながら、また次々に新しい建物が建てられ現在も進行している、といった重層的な場所には、「重要伝統的建造物群保存地区」はなじまない。だけれども歴史的にいろいろな時代が入り混ざっている、という環境そのものがおもしろいといえるかもしれないし、もしかするとそれが当たり前なのかもしれない。 人間が社会活動をするということは、新しいものを採り入れ、環境を造り替えていくことにほかならない。そのためには住居や仕事場を作り直していくことになる。それはお寺や神社といった宗教施設、お茶屋や庭園、博物館といったリクレーションの施設、役所や病院などの公共的建物など一切を含めた、広い意味での生活環境の問題である。京都という街は、たきたま残された古い遺産の上に、現代の生活空間を構築してきたので、こうした複層的な景観の問題が顕在化してきたのである。 この問題を、京都街中の町屋のある景観についても及ぼすことができる。京都の下京にある重要文化財の杉本家や京都市指定文化財の長江家は個別に指定された明治初期の京町屋であるが、同じ町内にはいくつかの町屋があるものの「建造物群保存地区」ではない。化粧品店・喫茶店・医院、食べ物屋などのさまざまな家、マンションや会社のビルと駐車場まであって、景観が揃っているとはいえないからである。町屋だけみても、昭和にできたものや外観だけタイルや漆喰をはりつけて洋風に見えるようにしたものもある。要するに雑多な建物群である。たしかに時代的に統一された感はないけれど、これらは生活し、社会活動をしていくなかで、あるいは経済的に折り合いをつけ、近所とのつきあいを維持しながらできた結果であるといえる。したがってこれらの町では、今でも祇園祭の山鉾をを中心とする行事がとり行われ、共同体組織として比較的維持されている。 いっぽう近年、京町屋のゲストハウスがかなり増えている。こちらの場合は、少なくとも外観は町屋風に小綺麗に造作してあるのだが、決まった住人がない。宿泊者に任せきりということが多い。とくにオーナーが外国籍の人であったりして、町内組織にも入ってこない。もしかすると町屋景観の維持には役立っているかもしれないが、下手すると町の崩壊につながる可能性がある。ゲストハウスだけではない、意図的に京風に意図して造られたそれらしい街並みと、雑多ではあっても共同体意識のある街並みとでは、どちらかたいせつだろうか。表面的な時代に統一された街並みには、かなり現代人の恣意的な趣向が混ざっているように思う。こうした街並み景観保存が、歴史遺産の名を借りて、利益目的の事業になっていないか。もう一度、歴史的景観とは何かということを考え直したい。 (2025年5月25日) |