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平成8年7月21日、上賀茂の旧社家住宅の改修工事の最中、偶然襖の下貼り
からみつかった江戸時代前期の古文書群である。正確な年代は不詳であるが、一
連の文書の中に寛文四年(1664)九月廿二日付けのものがあることなどからおお
よその年代がわかる。
文書の差出人は、ほとんどが 結城(松平)秀康の孫で松平直基の長男、松平
大和守直矩(1642〜95)の家臣たちで、宛所の大部分を占める岡本左近大夫と桐
山織部は、京都の公家東園家の家令(雑掌)であった。東園家の当主東園基賢で
その娘ながは、松平直矩に嫁いでいた。文書群のほとんどは、江戸にいる直矩と
ながに近侍する家来や女官が、京都の舅(父)の東園大納言に、季節の挨拶や娘
ながの近況を知らせる書状である。当時の慣習として、直接直矩夫妻から大納言
夫妻に宛てるのではなく、近侍する家来が代わって大納言家の家令に宛てて要件
を伝え、それを大納言に奏するのである。
そのなかから、 正月三日付大喜多兵左衛門の書状を紹介する。
大喜多兵左衛門は松平直矩の家臣で、国元の姫路にいる。藩主は江戸と国元を
往来するが、このときは室のながとともに江戸にいた。 兵左衛門はおそらく国家
老で、京都の舅家東園家に新年の挨拶の書状を出したのである。書状は年号を書
かないのが礼儀であるが、本文中に「中将様」とあるので、基賢の子基量が中将
になった寛文十一年以降、おそらくは寛文十一年であろう。「幾姫」は直矩とな
がの娘で、このときは姫路にいた。
新春の挨拶を述べたあと、東園大納言をはじめ基量・奥方が機嫌よく越年され
たこと、江戸では直矩とながが元気で越年されたこと、またここ姫路では幾姫様
がやはり元気で越年されたことを祝している。そのうえで、家中も安穏であると
して、嘉例の扇子を進上したいのでよろしく大納言様にとりはからってほしいと
用件を述べている。

◆99年未詳正月三日付大喜多兵左衛門書状(巻紙)
/新春之御吉慶何方
目出度奉存候、其御地
大納言様中将様奥様
御膳様御機嫌能御越
年被成候旨、恐悦奉存候、
於江戸大和守殿御前様
御機嫌能年重被為成、
爰許幾姫様御機嫌能
越年被為成、家中静謐
罷有候、仍如御嘉例之
扇子指上ケ申度候条、
御次而之節、宜預御披露候、
誠千秋万歳候、年頭之
表御祝儀斗奉存候、
猶永日期御音之時候、
恐惶謹言
大喜多善左衛門
正月三日 吉勝(花押)
岡本左近様
桐山織部様
人々御中
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